うちわの歴史

団扇(うちわ)の歴史は、その意匠(形状、材質、構造)ならびに機能・用途、意味・意義、背景・時代の特徴からみて、主に5つの時代に分類できます。

【古代】
最も古い団扇(うちわ)の例は、古代中国の記録や古代エジプトの壁画にみることができます。

日本でその具体的な形状を知る最も早い例は、弥生、古墳時代より出土する木製品です。

翳(さしば・さしは)は団扇の柄を長くした形状のものです。

本来的には送風の道具だが、中国貴族社会では権威の象徴あるいは威儀具、日本では古墳壁画の図文から、主に古墳祭祀にかかわる威儀行列の道具として用いられたとされています。

【中世】
中世(飛鳥、奈良、平安、鎌倉時代)、公家、役人、僧侶の間では威儀具として発展し、伴(とも)にもたせる大型のものや文様を付した豪華なものが作られ、素材も絹、蒲葵(びろう)や芭蕉などの植物繊維、雉(きじ)や鵲(かさらぎ)の鳥の羽など多様に用いられます。

庶民の間では軽くて便利な網代網の方扇(ほうせん:四角形の団扇)が使われた。古代以来、構造は中心に柄と一体である「棒」を通し、扇部分の縁を「枠」によって素材を固定する例が多数を占めます。

【戦国時代】
その後、形態や材質は時代によって変化してゆき、軽くて扇部がへたらない構造として、竹または蒲葵(びろう)や芭蕉の骨と紙を素材とする「現在のかたち」の原型となったのは室町時代末であります。

また、戦国時代以降、素材に漆塗りの網代団扇や漆塗りの皮、あるいは板や薄い鉄板などを用い堅固につくられた軍配団扇(略称:軍配)が武家の戦いの中で使用されました。

武将の戦における軍の指揮、一軍の象徴、家紋を示し、矢石を防ぐ武具としての機能も果たした。

また、旗指物に大型団扇が使われ、そこには家紋などが示された。

【近世】
江戸時代にはいると、庶民へも広く普及し、涼や炊事、装いや流行、蛍や虫追いなど、日常生活道具として多様な場面で利用されてゆく。量産の為、全国各地には団扇産地が形成されます。

また木版技術の向上が大量の団扇絵生産を可能にし、一般大衆の手にその美がゆき届くようになった。図柄もその好みが反映されるようになり、文芸(俳諧、和歌、漢詩)や浮世絵も扇部にあらわれ、団扇を通じてその表現は創意工夫がなされる。この時、従来の“威儀を示す”から、「あおぐ」「はらう」そして「たのしむ」道具としての意味が大きくなります。

【近代】
明治時代の新機軸は広告団扇です。

大需要者はアメリカにあり、粗製廉価な団扇を鉄道会社などが客に配った。国内でも商家や寺社の配布用としての需要が増し、裏面に名入れ、表面には商品や様々なメッセージが織り込まれ、その実用面に広告媒体としての意義が備わった。

美術的な価値に重きをおいた団扇もアメリカに盛んに輸出された。扇部にほどこす絵入れや揮毫(きごう)、煎茶の団扇など趣向を凝らす側面は、近代でも好まれ日本人の生活や技芸を彩っている。
しかし、昭和10年代には戦意高揚など国策に利用され、戦時中は生産が激減、軍需品として僅かな生産が続いた。
戦後、昭和20年代後半から日本経済の回復とともに団扇の生産も復調していく。昭和30~40年代は当時人気の俳優・女優の顔や姿が扇部を飾り、人々はそのアイドル(偶像)を近い距離感で手にとって親しんだ。
昭和40年代には、竹不足の解消、機械生産による手づくりをはるかに上回る生産性と低コストから、伝統的な竹に換わってポリピレン(プラスチック)を使用したポリ団扇が登場し、急速に普及していく。

そして、昭和40年代以降、扇風機やクーラー、ガスや電気のコンロの普及に伴い、生活での団扇の実用面は縮小し、その姿は減少の一途を辿っています。

しかし、心地よい軽さで手になじみ、手づくりの風をうみだすうちわは現代においても涼しさをうむイメージのひとつであり、今もなお、花火大会など夏の風情を楽しむ日本の生活道具、あるいは広告・販促の媒体としてみることができます。

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